読みもの

しゃべってないで書いたら日記

2018年04月29日

「すきすきだいすき清志郎」 その1

もう9年も経つのだって。本当にびっくりします。かれこれ35年以上前(これにもびっくり)、高校2年生だったか?私はバレーボール部で高校の体育館で部活に勤しんでいたのでした。横のステージでは男子たちが文化祭の練習をしていて、そこから流れてきたギターの演奏を聴いてスーッとそっちに持って行かれ、トスされてきたボールを落としてしまった。「雨上がりの夜空に」のサビの部分だったのです。RCサクセション、それまで全然知らなかったんだけど夢中になって、男子にかじり付いていろいろ教えてもらって、それで最初に「ラプソディ」を買った。ジャケットのえらい攻撃的な顔の清志郎を穴のあくほど眺めて、寝ても覚めても清志郎のことばっかり考えている高校生でした。

「ラプソディ」の次は「EPLP」を買って、「プリーズ」を買って、シングルの「トランジスタ・ダジオ」を買って、そうこうするうちにニューアルバム「BLUE」が出たのでした。「夜のヒットスタジオ」にRCが出るという日、私は商店街の楽器屋さんでアルバイトをしていたのだけど、店主のおじさんに「最後にシャッター閉めて帰ってね」って言われて、人生の中でシャッターなんて閉めたことがないからシャッターの仕組みが全然わかっていなくて、真ん中の支柱を入れずにガラガラ〜ってシャッターを下ろしたらシャッターはボワ〜んって波打っていて、しかも隙間だらけで、全然シャッターの意味をなしていなかったのだけど、「あれ?なんか違うな?」と思いながら非常識で無責任丸出しでそのまま家に帰ったのでした。追いかけるように楽器屋のおじさんが怒って家に電話してきて「何してくれますのん、これ、どうしますのん、支柱が入ってないからもう上に上げることもできませんやん」とおっしゃった。父と一緒に戻って、「すみませんすみません」と謝りながら、なんとかかんとか(どうやったのかな?)シャッターを直したらもう「夜のヒットスタジオ」が始まる時間で、私はこんなことで見逃したらと思ったら涙が出てきて(全て自分が悪いのに)、泣きながら必死で自転車を漕いで帰って、なんとか間に合って、テレビにかじりついて見ました。多分、「ロックンロールショウ」を歌ったと思う。清志郎はテレビ画面の中で浮いているというか、全然収まっていないというか、不思議な存在感で、ガムをカメラにくっつけていた。

後々、苦情の電話がいっぱいきたそうだ。

コンサートに行きたいのだけれど、その頃はなかなかチケットが取れなくて、毎日、清志郎の写真を見ながら学校の机の上に清志郎を書いていた。自分で言うのもなんだか一途な恋心のなせる技か、毎日書き換える清志郎はどれもすごくうまく描けて級友たちにも褒められたのだけど、ある日、英語のグラマーの先生が私の落書きを見て「なんやお前、こんなんが好きなん?」と言った。「え、先生知ってる?」って聞いたら「知ってるよ、あれやろ、ブラックデビル」と言われてガーン!と何かで頭を殴られたようなショックを受けたのでした。

田舎暮らしのハンデもあってなかなかコンサートに行けない高校2年生は、清志郎のためにターコイズブルーの毛糸をいっぱい買ってマフラーを編み始めた。編み物なんてしたことがなかったのだけどクラスメイトに教えてもらいながらせっせと編んだ。そして寒い寒い冬のある日、京都会館でRCのコンサートがあるその日、チケット取れていないのだけど学校をサボって、一人で京都会館に向かった。向かう電車の中でもまだマフラーを編んでいて、マフラーはすでに2メートルを超えるくらい長くなっていて、電車の中でハッと「止め方が分からない!」と気づいた!どしよ〜って悩みながら京都会館に向かったら数人の可愛いお姉さんたちが清志郎を待っていて、それで高校の制服姿の私を見て「可愛いなあ」「どっから来たん?」って親切にしてくれて、「あっちからタクシーでくるよ」「一瞬やから気合い入れて見なアカんよ」と教えてくれた。止め方が分からないまま編み棒が付いたマフラーの入っている紙袋を見て「それプレゼントか?プレゼントはあの扉からボーヤの人が出てきて受け取ってくれはるし渡したらいいよ」って教えてくれて、本当にその通り、清志郎が乗っているんだかいないんだか、タクシーは一瞬でピューっと通り過ぎて、しばらくしたら裏の扉が開いて男の人が「プレゼント受付ます」みたいにおっしゃり、「わーどうしよー」って迷いながら結局、編み棒をつけたままのマフラーを託したのでした。あれはどうなったかな?捨てたかな?

その頃出たレコードも本も写真集もコンサートの半券も雑誌の切り抜きも全部、とってある。結構な量です。

(続く)